「相互尊敬・相互信頼・協働」ピリピ人への手紙2:1-11


今日は開拓伝道20周年。教会設立15周年。献堂10周年記念感謝礼拝です。私達知多のぞみキリスト教会は開拓当初から「互いに愛し合う」ことを「相互尊敬・相互信頼・協働」という言葉に置き換えて共に主に導かれて歩んできました。


1.神が私達の存在を愛して重んじておられるから。

今日の箇所には、愛することは、へりくだって互いに人を自分よりすぐれた者だと思うこと。つまり相手を重んじ尊敬することだ、と語られていますソクラテスは「無知の知」(自分は無知であるとの自覚が知の始まり)を唱えましたが、「私は正しい。あなたは間違っている」という考えは「逆ソクラテス」となってしまいます。自分には知らないことがある。それを仲間に教えてもらう必要がある、という自分の限界を認めて相手に耳を傾ける姿勢が大切です。しかし傲慢な罪の性質が残る私達は自分の力でそれができません。まずイエスが、私達の出来高ではなく存在そのものを愛し重んじ、リスペクト(尊敬)して下さった無条件の愛を受けつつ共にイエス見つめる時に相互尊敬の歩みへ導かれ続けるのです。


2.相互尊敬から相互信頼が生まれる

イエスがその人のことをご自分の命を捨てるほどに愛して重んじている存在だということを心に留めてその人の存在を尊敬するなら自然にその人を信頼することにつながっていくでしょう。そのような信頼関係には安心が生まれます。イエスはご自分を裏切ったペテロを赦し、愛し、さらに信頼してご自分の教会を託されました。同じように、まずイエス私達を尊敬し信頼し続けて下さっていのです。


3.共に十字架によりかかって仕え合う協働

協働の「協」はキリスト信仰的に見れば共に十字架によりかかって仕え合うことです。共に十字架の赦しによりかかっている関係だからこそ失敗恐れず、安心して協働できるのです。


結論:イエスはご自分を裏切ったペテロを愛し赦し、立ち直らせて下さいました。その同じ愛で愛されている私達も互いに「大丈夫だよ。もう一回やろう。一緒にやろう。」と声を掛け合っていくその中でイエスの愛を土台とした相互尊敬・相互信頼・協働の関係が強く結ばれ続けていくのです。

(聖書引用 聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会)