今年はどんな1年だったでしょうか?良いこと、喜ばしいこともあったと思いますが同時に自分にとっては良くないこと、喜ばしくないこと、苦しいこともあったと思います。イエスが語ったように、世にあっては苦難があるのですがイエスに結ばれた私達はその苦難をどう見ることができるのでしょうか?
1.使徒パウロは苦難さえも喜んでいた!?
使徒パウロはキリストを宣教する中で、信頼していた友人に裏切られたり、誹謗中傷を受けたり、誤解されたり、軽蔑されたり、という苦難を経験した一キリスト者でした。そんなパウロは聖霊によって「苦難さえも喜んでいる」と語りました。普通で考えるなら、苦難なんか喜べるはずがないのですが、パウロは苦難さえも喜んでいたのです。
2.苦難→忍耐→練られた品性→希望という成長過程
使徒パウロが苦難さえも喜んでいた理由は「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているから」でした。(ローマ5:3-4)キリストにあって、私達の苦難は苦難で終わるものではなく、忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性(キリストの人格)を生み出し、練られた品性は希望を生み出すのです。しかし私達は忍耐→練られた品性の過程を飛ばして、いきなり苦難→希望を求めるためにイライラしたり、焦ったり、不安になったりしてしまうのです。しかしキリストにあって私達は苦難→忍耐→練られた品性→希望という成長の過程の中を歩んでいるのです。
3.イエス・キリストも苦しみの中で完全とされた。
イエスも苦しみの中で完全とされました。(ヘブル2:9-10、5:8-10)イエスこそ十字架の苦難を通る中で罵られても罵り返さず、正しくさばかれる方(天の父)に任せることを学ばれたのです。
結論:ノリタケの器は完成までの過程の中で「締焼き」(1230℃で14時間)を通ります。締焼きすることで水分が飛び、丈夫になります。また金仕上げしたものは約800℃で焼成します。すると焦げ茶色だった金液の中の不純物が燃えて金ピカになって出てくるのです。私達も苦難→忍耐→練られた品性→希望に向かう過程にあって神の御手の中で作り変えられているのです。
(聖書引用 聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会)