年末年始にどこかへお出かけする方がみえるかも知れません。例えば車で初めてのところへ行く場合、カーナビがあればカーナビで目的地をセットすると思います。運転時にナビがあれば、たとえ道を間違えても修正されるので安心して進んでいけます。今日は車ではなく、人生のナビゲーションについて聴きましょう。
1.東方の博士達がユダヤ人の王の星を認識できた理由
東方の博士達(バビロン・ペルシャ地方の占星術の学者達)は不思議な星を見た時「ユダヤ人の王の星」だと確信しその星を頼りに1500km以上の長旅をして来ました。なぜ彼らはその星がユダヤ人の王の星だと確信できたのでしょうか?それは、バビロン捕囚(紀元前約600年)が起こった時にバビロンに連れてこられたユダヤ人達を通して神のみことばがバビロン地方に伝えられていたからです。ユダヤ人にとっては苦しみと屈辱のバビロン捕因でしたがそれが起こったからこそバビロン地方にも神のみことばが伝えられたのです。おそらく博士達は「ヤコブから一つの星が進み出る。」(民数24:17)というみことばを知っていたと考えられます。だからこそあの星を見た時に信仰的に認識できたのです。私達も神のみことばに聴きながら生きる時、目の前で起きている現象を自分の視点ではなく神の視点から見るようにと導かれていくのです。
2.東方の博土達も迷い、遠回りをした。
エルサレムへ行けば誰もが新しい王の誕生をお祝いしているだろうと思いきや、かえってヘロデ王も住民も自分の地位や生活が乱されることを案じて動揺したのです。博士達は期待通りの目的地にたどり着けず、遠回りしました。しかし彼らが遠回りしたからこそキリストがベツレヘムで生まれるというミカ書5:2のみことばを聞くことができ、ベツレヘムの幼子こそ間違いなくキリストだ、と確信することができたのです。
結論:私達も博士達のように信仰の道の途中でわからなくなることがあります。でもその状況の中で私達を導くのが神のみことばです。バビロン捕囚が起こったことも、道を遠回りしたことも、万事が共に働いて益となる(ローマ8:28)ことを、私達はみことばによって知ることができるのです。
(聖書引用 聖新改訳2017©️2017新日本聖書刊行会)