いちじくの木の下で

ヨハネ1:43~51

1ナタナエルは偏見をもちながらも神を求める人だった。
ナタナエルはガリラヤのカナ出身で、近くのナザレの町を偏見と差別の目で見下していました。彼も神の前には罪人でしたが、だからこそ真剣に、真実に、神との関係に飢え渇いて神を慕い求める人でもありました。

2.イエスはナタナエルがいちじくの木の下にいるを見ていた。
当時ユダヤ人はいちじくの木の下に入って神を求めて祈ったり、瞑想したりしていました。イエスは、ピリポがナタナエルを呼ぶ前にナタナエルがいちじくの木の下にいるを見ていたと語りました。イエスは、神との関係に飢え渇いていちじくの木の下にいたナタナエルに目を留めて下さり、みことばで彼に応答し、天が開けて、神の御使いたちが人の子(イエス)の上を上り下りするのをあなたがたは見るようになる、と約束して下さったのです。

3.イエスこそ天から地に向けてかけられたはしご。
創世記28:10~12にはヤコブが一人で野宿をした時に、夢の中で、天と地をつなぐはしごが立てられており、神の御使いたちがそのはしごを上り下りするのを見たことが書かれています。この天と地をつなぐはしごこそ、神と私達をつなぐイエスを指し示していました。イエスの十字架と復活の御業によって天と地がつながれ、神と私達罪人が永遠につなぎ直された。
それがナタナエルにも私達にも起こったのです。

結論:イエスは、いちじくの木の下にいたナタナエルに応えて下さったように、私達の祈り・叫びをないがしろにされず、私達の方法を超える神の方法で、私達のタイミングを超える神のタイミングで必ず私達に応答して下さるお方です。一寸先は闇だからこそ詩篇の著者は「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です」と歌いました。新年度の日々、いちじくの木の下に入ってみことばを求めつつ祈る私達の姿にイエスは目を留めて、必ず応答して下さるのです。
(聖書引用 聖書新改訳 201702017新日本聖書刊行会)