共にイエスのみもとに行こう


1.イエスはガリラヤ全域で福音を語り、病を癒やされた。

イエスは 

①ガリラヤ全域を巡り 

②会堂で教えて御国の福音を宣へ伝 

③病・煩いを癒されました。 

ガリラヤ地方は南のエルサレムの人々から「異邦地域」と呼ばれて軽蔑されていましたが、イエスはそのガリラヤ全域のユダヤ会堂を巡り、天の御国が先に近づいたのだから向き直りなさい、と語りかけて下さったのです。 


2.病の治癒は天の御国が来たことの一つの表れだった。

イエスの評判はシリア全域に広がり、人々は方々から病や痛みに苦しむ人達をイエスのみもとに連れてきました。イエスは彼らをことごとく癒して下さいました。天の御国には死も病気も苦しみもありません。 

当時、イエスが行った病の癒しはその天の御国が来たことの一つの表れだったのです。 


3.キリストの力は弱さのうちに完全に現れる。

それではなぜ現代において癒されない場合があるのでしょうか?信仰や祈りが足りないからでしょうか? 

そうではありません。使徒パウロも肉体のとげ(慢性的な痛み)を抱えており、それを取り去って下さい、と主に三度願いましたが癒されることはありませんでした。イエスはパウロの願いとは別の方法で彼に応答して下さり、キリストの力は強さよりも弱さのうちに完全に現れるという新たな信仰へと導いて下さったのです。(Iコリ12:9)ですから癒される場合も、癒されない場合も主が栄光を現わして下さるのです。 


結論:イエスは「痛いの痛いの飛んでいけ~」と言って病を癒やされたのではなく、「病の苦しみを併せ持った十字架を負う」というかたちで人々を癒されました。群衆はイエスに熱狂し、自分に都合の良い王になってもらおうとしましたがやがて期待が外れ、手の平を返します。

しかしイエスは初めからすべてをわかっていながら彼らを受け入れて下さいました。イエスはたとえどんな理由であってもご自分に来る者を恵もうとして待ち、神の方法でそれぞれに応答して下さるのです。