わたしについてきなさい

20240121「わたしについてきなさい」マタイ18:22
1.イエスの方がペテロ達の生活現場に来て下さった。
当時のユダヤ文化ではラビ(ユダヤ教の教師)に弟子入りしたいと願う者の方がラビのところに行ってお願いするのが普通でした。しかしこの場面では逆でした。
ラビであるイエスの方がペテロ達の日々の生活現場にまで来て下さり、「私についてきなさい」と呼びかけて招いて下さったのです。ペテロ達は自分の決断や自分の意思によってではなく、彼らを招いたイエスのご意思とみことばの権威によって生涯イエスについていく者とされたのです。
2.イエスが常に自分の一歩前を歩いて下さる。
イエスについていく、ということはどういう状態でしょうか?それは常にイエスが先立って自分の一歩前を歩き続けて下さるということです。風が吹こうが石を投げられようがそれらをまずイエスが私達の前で先に受け止めて下さるのです。私達のために先に十字架の苦難を通り、死を突き破られたイエスの背中を見つめる時に私達はそう確信できるのです。
3.イエスについていく人は皆人間をとる漁師となる。
人間を捕る漁師とは人を罪の深みの中からキリストにある永遠の命へと引き上げる人を指します。イエスの背中を見つめる者とされた私達はそれぞれの場所ですでに人間を捕る漁師にしていただいているのです。
結論:人間をとる漁師になったとしても世にあっては思いがけない苦難を通ることがあります。そのような中で私達がそれでもイエスについていく理由は、イエスが進んでいったその先に私達のための十字架があったからです。私達が立つ地は揺れ動きますが、イエスの背中を見つめながら歩む時、決して揺れ動くことのない御国を仰ぎながら、先にイエスが歩んだその道のりを一歩一歩、歩んでいけるのです。