闇の中に住んでいた民は大きな光を見た

マタイ4:12-17
 
1神の子イエスは、蔑まれたナザレ人と呼ばれた。
イエスが宣教を開始した場面です。ヘロデ・アンテパスの罪を責めたことによってバプテスマのヨハネが捕らえられました。その時、イエスはガリラヤ地方に退いてナザレからカぺナウムに拠点を移して宣教を開始しました。北のガリラヤ地方はかってアッシリア帝国の植民地とされて人々が混血となっていたため、南のユダヤ地方の人々からは「異邦のガリラヤ」と呼ばれて軽蔑されていました。しかしイエスはそのガリラヤ地方の中でも特に軽蔑されていたナザレ人と呼ばれ、軽蔑される側に立ってガリラヤの只中で福音を語りかけたのです。
2.方向転換しなさい。天の御国が近づいたのだから
イエスはバプテスマのヨハネと同じことばでガリラヤの人々に語りかけました。「あなたがたが神の方に向いたら天の御国(神)が近づく」と言ったのではなく、天の御国(神)がすでにあなたがたに近づいたのだからその場で神の方に向き直りなさいと言われたのです。
私達が神を捜し求めるのではなく、神が私達を捜し求めて下さった。たとえ私達が神を忘れても、神は永遠に私達を忘れない。これが、イエスが語って体現された福音メッセージです。
3.自分の意思によるのではなく神のご意思によって。
私達がイエスの方に向きを変えられ、罪から救われ、神の子どもとされたのは自分の血筋や自分の意思によるのではなく、ただ神のご意思によるものでした。
(ヨハネ1:12-13)私達の救いも信仰生活も私の信仰如何によるのではなく、憐れみ深い神のご意思による。
だから安心できるのです。
結論:私達は自分で自分を罪から救うことはできません。だからこそイエスは来て、私達すべての罪をかぶって死に、よみがえらされて世の罪を取り除いて下さったのです。向きを変えたから赦されたのではなく、赦されていたので向きを変えられたのです。