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主がよくしてくださったこと

20231231「主が良くして下さったこと」(詩篇103)


年末感謝・主日礼拝です。私は困った時には必死で主に祈ります。しかし主が祈りに応えて本当に助けて下さった時にどれくらいきちんと時間をとって感謝の祈りを捧げているだろうか?と問われています。主は決して感謝を強要されません。ではなぜ聖書は「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2聖書 新改訳2017©️2017新日本聖書刊行会)と語りかけるのでしょうか?共に聴きましょう。


1.私達の心から主への感謝と信頼がなくならないため。

詩篇103篇の著者はダビデです。ダビデは若い時、自分の主君サウル王に忠実に仕えていましたが、サウル王に妬まれて殺されそうになり、荒野に逃げて洞窟の中に隠れなければならないような苦しい経験をしました。また後には自分の息子から命を狙われることもありました。同じように私達も(イエスが後に言われたように)世にあっては苦難を経験します。そのような時に主が良くして下さったことを忘れてしまうと「足りないこと」ばかりに目が留まって「神さまは何もしてくれない」と思い始め、不平不満の言葉だけが口から出てきてしまい、喜びも感謝も希望もなくなってしまうのです。だからこそダビデは自分の魂に向かって、主が良くしてくれたことを何一つ忘れるな!と呼びかけたのです。


2.主が良くして下さった最大の出来事(十字架と復活)

主が私達に良くして下さった最大の出来事とはイエス・キリストの十字架と復活の御業です。神に背を向けていた私達すべての人の罪咎をイエスが全部被って死に、約束通りによみがえらされて生きている。これが、主が私達に良くして下さった最大の出来事。永遠に揺るがない愛の事実。決して消えることのない喜びと平安と希望の源泉です。私達が受けるはずだった咎の報いを主イエスが受けて下さったからこそ、主は私達の咎に従って私達に報いをされないのです。(詩篇103:10)


結論:十字架を見上げる時、神が実にそのひとりごをも与え尽くして下さったほどに私達を今も愛して下さっていることを思い起こすことができます。そして尊い御子を惜しむことなく私達に与え尽くして下さったほどの神が、御子と共にすべてのものを私達に恵んで下さらないはずがないのです。(ロマ8:32)