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「イエス・キリスト・力ある神」〜その力は何のために〜(ルカ23:32-43)


20231210「イエス・キリスト・力ある神」
〜その力は何のために〜

1.イエスは全能の力を、罪人を救うために使った。
イザヤ書9:6にはイエスは「力ある神」と呼ばれるとあります。しかし4つの福音書を読んでわかることは、イエスは一度もその全能の力を自分のために使わず、まして自分を誇示するために使わなかったということです。むしろ罪人を救い、癒し、立ち返らせて励まし、人生を立て直すために使い尽くされたのです。

2.イエスは罵られながらも十字架に踏みとどまった。
イエスは十字架につけられた時、今自分を殺そうとしている人々、私達すべてのために「父よ。彼らを赦して下さい」と祈りとりなして下さいました。しかし目の前の人々はイエスをあざ笑い、キリストなら十字架を降りて自分を救ってみろ!と罵りました。イエスは全能の神ですから降りようと思えば降りることができました。しかレイエスは無力な者のようになり、十字架の上に、愛の上に、踏みとどまって下さったのです。

3.愚かな十字架のことばこそ、私達を救う神の力。
後にパウロは語りました。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(エコリント 1:18 聖書 新改訳 2017@2017 新日本聖書刊行会)愚かに聞こえる十字架のことばこそ、私達を罪から救う神の力であり、無力で弱々しい十字架のイエスの姿にこそ私達を変える神の力が満ちています。ですからキリストの力は私達の強さではなく、弱さの中に現れるのです。(Ⅱコリント 12:9)

結論:大きな武力や圧力は人を制圧し、表面的な平穏を作れるかも知れませんが、人の心の奥にある憎しみを消すことはできません。しかし十字架のことばには憎しみを少しずつ溶かして私達を解き放つことのできる全能の神の力があるのです。