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神の子がバプテスマを受けた理由

2023/11/19「神の子がパプテスマを受けた理由」マタイ3:13-17

今年も神のへりくだりを現すアドヴェント(行降節)が近づいてきました。そのような中で今日は、罪なき神の子イエスがバプテスマを受けた姿を共に見つめましょう。 

1.罪なき神の子イエスがバプテスマを受けた理由。
何度読んでも驚きの場面です。罪なき神の子イエスがご自分から罪人達の列に加わり、バプテスマを受けるためにやって来ました。バプテスマのヨハネはそんなことあり得ないと思い、そうさせまいとしましたが、イエスはご自分がバプテスマを受ける理由をはっきり語りました。罪なきイエスがバプテスマを受けた理由は、それが神にとって正しいこと(義なること)だったからです。 

2.「神の正しさ(神の義)」とは?
ある注解者はこう言っています。「神の正しさとは、かれが民と結ばれた契約に対する、かれの忠誠である。神とその民との間の正しい関係を維持し、回復しようとすることが神の清き意思である。」(S.ディートリッシュ著 松永希久夫訳 マタイの福音書 日本基督教団出版局 1966年 P.36参照)つまりイエスが言った「正しいこと(義なること)」とは「神が」私達罪人との関係を回復して下さることであり、それを実現するためにイエスはバプテスマを受けられたのです。それは、罪なき神の子イエスが私達罪人の立場に立ち、やがてすべての罪人の代表として罪を引き受けて十字架にかかるという使命に歩み出して下さったことを意味したのです。 

3.イエスが私達の罪を負うという矛盾を引き受けた。
しかしこれほどの矛盾があるでしょうか?罪なきイエスが罪人のようにバプテスマを受け、私達と同じ立場に立って下さったのです。イエスは決してご自分と私達罪人を分離することなく、私達と一つになって下さいました。イエスは神としてのあり方に固執すべきとは考えず(ピリピ人への手紙 2:6脚注参照 聖書 新改訳 201702017新日本聖書刊行会)、私達を救うために神の立場から降りて下さいました。一方、アダムとエバは「神のようになれる」とそそのかされた時、善悪の知識の木の実に手を伸ばし、神の立場をもぎ取ろうとしたのです。  

結論:イエスは私達罪人の代表となってすべての罪を引き受けて死に、よみがえらされて生きておられます。私達はこのイエスにバプテスマによって永遠に結ばれていますので、罪に対しては死に、神に対しては生かされて、全く新しいいのちの中にあるのです。