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神に方向転換した生き方(マタイ3:1~12)

時々、車で教会の駐車場に入ってきて Uターンしていかれる方がおられます。それを見ながら、教会がこれからも神に Uターンできる場所となっていったらいいな〜と思っています。今日は、人々に神へのUターンを呼びかけたバプテスマのヨハネの場面です。
1.神の恵みが先行している。
バプテスマのヨハネは荒野に現れ「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2聖書 新改訳 2017©️2017 新日本聖書刊行会)と語り始めました。「悔い改め」とは原文では神に方向転換する・回心する(改心ではない)・向きを変える、という意味があります。なぜ方向転換するのか?天の御国(神の国)が近づいたからだと言います。つまり私達が方向転換するから神が近づくのではなく、まず神の方から私達に近づいて下さったのだから神の方に向き直りなさいと言うのです。神の恵みが先行して私達に届いているからこそ、ただ振り返ってそれを受け取ることができるのです。
2.「戻れ!引き返せ!」という呼びかけ。
今年は自粛されたようですが、去年のハロウインに韓国・梨泰院(イテウォン)で悲惨な事故が起きました。報道された当時の映像の中で印象的だったのは、ある背の高い外国人の男性が「ゴーバック!ゴーバック!戻れ!引き返せ!」と懸命に叫び続ける姿でした。私はその姿を見た時に、キリストはすべての人々に同じように呼びかけておられるのだと思いました。バプテスマのヨハネも当時の人々に「神に向かってゴーバック」と叫んだのです。
3.神に方向転換した生き方一自分を低くする。
バプテスマのヨハネはパリサイ派とサドカイ派の人々が来た時に「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(マタイ 3:8 新改訳 2017©️2017 新日本聖書刊行会)と言いました。パリサイ派とサドカイ派の人々は自分達がアブラハムの子孫であることを誇って 傲慢になっていました。彼らもまた神の前に方向転換し、ルカ18:9~14にある取税人のように自分を低くすることへと導かれたのです。

結論:イエスは十字架にかかって私達すべての人の罪を負い、ご自分をさばいて下さいました。イエスによってすでに私達の罪が赦されているので、私達はいつでも神に戻れるようになったのです。ですから悔い改めそのものが神からの恵みです。私達には、このままで帰ることのできる魂の家があるのです。