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イエスを礼拝する理由

20231015
マタイ2:1-12
イエスが生まれたイスラエルの地では憎しみの応酬が繰り広げられています。今こそすべての人の罪を負って死なれ、よみがえらされたイエスの十字架を見上げつつ、救い主の姿に目を留めましょう。
1.神は悪にしか見えないものの中から善を生み出す。
今日の場面は「遠くにいた異邦人」が来て、「近くにいたヘロデ達」が来なかったことが対照的に書かれています。博士達は東の方でユダヤ人の王の星が昇るのを見て遠路はるばるやってきました。なぜ彼らはその星を見た時にユダヤ人の王が生まれたと確信できたのでしょうか?それは、この時から約500 年前に起きたバビロン捕囚の時、強制的にバビロンに連れていかれたユダヤ人達によって神の預言のみことばが東方にもたらされていたからでした。バビロン捕囚は悲劇と屈辱の出来事でしたが、バビロン捕囚があったからこそやがて東方の博士達が預言されていた一つの星(民数記 24:17)が昇るのを見て、救い主のところに導かれたのです。
2.博士達はキリストに絶大な価値を見出したから、来た。
「東の方」とはペルシャあたりだったと考えられています。(約2000km)彼らはおそらくラクダに乗って数か月かけて時間も財も体力も費やして長旅をしてまでコダヤの王・救い主を礼拝するためにやってきました。英語で礼拝(worship)とは「worth-ship」で「価値を認めること・価値を見出すこと」を意味しますが博士達は約束の救い主に絶大な価値を見出したからこそ彼を礼拝するためにやってきたのです。
一方、近く(ベツレヘムから 8km)にいたヘデ王や祭司長達は約束のキリストに価値を見出すことはありませんでした。自分で自分の価値を誇示して高めようと必死に立ち回る彼らの姿は私達の罪の姿と重なるのです。
結論:神の隣れみによって、私達も博士達のように、キリストに絶大な価値を見出して彼を礼拝(worship)する者へと導かれました。それはまずイエスの方が私達ひとりひとりの存在そのものに測り知れない価値を見出して下さり、ご自分のいのちの代価を払ってまで私達を罪から購って下さったからです。神にとって私達の存在がどれほど高価で尊いかをイエスが十字架で証明して下さったからこそ、このイエスを永遠に喜び、讃美し、礼拝するのです。