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救い主のファミリーヒストリー

マタイの福音書1:1~17
私達は自分一人で生まれてきたのではなく、先祖がいて、家族があって、その系図の中で生まれてきました。今日はイエスのファミリーヒストリーを見ながら、自分がここに生かされている恵みを共に受け取りたいと願っています。
1.マタイの福音書が書かれた目的-ユダヤ人にキリストを伝える。
マタイの福音書が書かれた目的は
「おもにユユダヤ人達に、イエスこそ神の子・真の王・全世界の救い主であることを伝えること」
でした。ですからユダヤ人にはよくわかる系図を一番はじめに掲載しました。これを見るユダヤ人は「イエスはユダヤ(イスラエル)民族の元祖アブラハムの子孫であり、英雄ダビデ王の子孫なのか!?イエスは只者ではないな」と感心するのです。
2.イエスの系図は人間の罪を堂々と語っている。
ところが、この系図を辿っていきますと4人の女性達の名前が出てきます。実は、旧約聖書を読みますと(この4人の女性達自身に問題があったわけではありませんが)、彼女達を取り巻く出来事に人間の罪と過ちがあったことがわかるのです。タマルは義理の父ユダがその第三の息子シェラと自分を結婚させると言った約束を破ったことを知り、遊女の格好をして義理の父ユダと姦淫をして子をもうけました。(創世記38章)ラハブはカナン人の遊女でした。(ヨシュア記6章)またルツは神の会衆には入れないと言われていたモアブ人でした。(ルツ記1章・申23章)さらにあえて「ウリヤの妻」とあるのはウリヤの妻バテ・シェバのことでダビデ王は王の権力を乱用して彼女と姦淫し、忠実な僕ウリヤを激戦地へわざと送って殺したのです。(Ⅱサムエル記11章~)
3.イエスは罪と過ちを繰り返す私達の家族となった。
聖書がイエスの系図に連なる人々の罪と過ちを堂々と語る目的は2つです。一つ目は、これを見る私達人類が自分の罪や過ちを思い起こすこと。二つ目は、そんな私達罪人の家族の一員となるためにイエスが人となって生まれてくれたことを知ることです。
結論:家族は喜びも悲しみも、時に病も過ちも共有します。しかしイエスは私達の罪も過ちもお一人で負うために来て下さり、私達を神の家族の系図の中に招き入れて下さいました。イエスにあって私達は天の父の愛のまなざしの中で自分自身を見て、また、自分の家族を見ることができるようになったのです。
 
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