ユダヤ人にはユダヤ人のように〜イエスは隣人への愛の源泉

2023/8/13(日)「ユダヤ人にはユダヤ人のように」
日本の文化では今週はお盆ですので、ご家族と過ごされる方もおられるでしょう。家族は一番身近な隣人ですが、この隣人を自分自身のように愛するってどういうことなのでしょうか?私達はどのように周りの人々に愛を表していけるのでしょうか?今日はパウロの宣教論の箇所からみことばに聴きましょう。

1.ユダヤ人にはユダヤ人のように。

パウロは第一コリント人への手紙9章で「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。」(9:20a)「すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。」(9:22b)と語りました。パウロは相手を変えようとするのではなく、むしろ自分の方が柔軟になって相手に近づくような生き方をしました。それが隣人にキリストの愛が届いていくきっかけとなったのです。パウロは実際、エルサレム会議で「割礼は必要ない」ことが決定された直後に出会ったテモテにあえて割礼を受けさせました。パウロは、テモテがユダヤ人に届いていくために、ユダヤ人の文化を尊重したのです。

2.隣人に愛を表すための「5つの愛の言語」
先日行われたMIX YOUTHキャンプのメッセージの中で「あなたはどのように隣人への愛を表しますか?」と問いかけられました。その際、愛を表す5つの言語として①肯定的な言葉②プレゼント③一緒に時間を過ごすこと④自分のしていることを手伝ってくれること⑤ハグやハイタッチなどのスキンシップが紹介されました。そして自分が一番嬉しいと感じるものと相手が一番嬉しいと感じるものとは違う場合があるので「自分」を基準に愛を表そうとしてもうまく伝わらないことがあることを学びました。私達は相手が一番嬉しいと感じることは何か?相手が大切にしていることは何か?を主の助けによって少しずつ知ろうとすることによって、「その人にはその人のように」なっていくことができるのではないでしょうか?

結論:まずイエスが、神であられるご自分の権利に固執せず、ご自分を低くして「人間には人間に」なって下さいました。受肉されたイエスの姿そのものが私達に対する神の愛の完全な表れであり、まず神が私の隣人となって下さったことの揺るぎない証となりました。このイエスが、隣人への愛の源泉です。


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