勇気を与えたイエスの死

2023年4月2日(日) 棕櫚の日 
メッセージ 「勇気を与えたイエスの死」要約
(マルコの福音書 15:42~47)   
東賢作牧師

今日は棕櫚の日。 今日から主イエスの受難週です。 これまでマルコの福音書シリーズでずっと十字架の場面を見てきました。 今日はイエスが十字架で死んで、アリマタヤのヨセフによって葬られた場面から、イエスから来る勇気を新たに受け取りたいと願っています。

1. ヨセフは勇気を出してイエスとのつながりを表明した。
アリマタヤのヨセフはユダヤの有力な議員でイエスの弟子でしたが、ユダヤ議会を恐れてそれを隠していました。 しかしそんな彼はイエスの死後、勇気を出してピラトのもとに行き、皆から犯罪人と定められ死刑にされたイエスのからだの下げ渡しを願い出たのです。

2. ヨセフは 「イエスが語った神の国」 を待ち望んでいた。
おそらく彼はこの後、ユダヤ議会の中で疑いと偏見の目で見られることになったでしょう。 しかし彼はそんな恐れを超えてイエスのからだを引き取り、イエスを慕う自分の立ち位置を表明しました。なぜ彼はそんなことができたのでしょうか? それは彼が当時のユダヤ民衆が求めていた神の国 (ユダヤ民族主義の国) ではなくイエスが語った神の国 (神の愛と恵みのご支配)を待ち望んでいたからではないでしょうか? もし彼が「イエスはやがてローマ帝国を倒してユダヤの国を再建してくれる」と期待していただけだったとすれば、イエスの死を見た時にただ失望するだけだったでしょう。しかし逆に彼は勇気を得てイエスと自分のつながりを表明したのです。 アリマタヤのヨセフは、はっきりわからないままでもイエスが語った神の国を待ち望みつつ、勇敢にご自分を告白して死に向かっていったイエスの姿から一歩踏み出す勇気を得たのです。イエスの死はアリマタヤのヨセフ、そしてニコデモにも勇気を与え、彼らは自分達が置かれた立場にあって、自分にできることをしたのです。

結論:イエスが死んで葬られたという事実は、イエスが公生涯で最も低くなり、やがて必ず死んで葬られる私達と完全に一つになられたことを証します。ヨセフはイエスを自分の墓に納めてイエスを自分の身内としましたが、まずイエスが今も弱さを抱える私達の身内となるために死に向かって下さったのです。