わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか

2023年3月26日(日)主日礼拝 メッセージ 要約
東 賢作 牧師
(マルコの福音書 15:23~41)
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 
神を第一にして礼拝を捧げていたとしても突然思いがけない苦難に遭うことがあります。そんな時、私達は 「神様なんで!?」 と叫びたくなります。 しかし、そう叫ぶことは決して不信仰ではなく、逆に神への信仰の表明です。 今日は「神様なんで!?」 と叫びながら生きる私達への神からの一つの応答を共に受け取りたいと願っています。
 1.世にあっては苦難がある。
 (ヨハネの福音書 16:33)
私の神学生時代、牧師になるために共に学んでいた友人が突然の交通事故で亡くなりました。また、日本の人々にキリストを伝えたいと願い、宣教師になる予定だったご家族が来日直前に交通事故に遭って全員亡くなられました。また、あるクリスチャンである方のお子さんが生まれて数か月で亡くなられた。その数年後にその方のご主人も交通事故で亡くなってしまった。また、ずっととりなして祈ってきた方が急に亡くなってしまった。この世には「神様なんで!?」と叫びたくなることが起きてくるのです。
2.決して「信仰や祈りが足りないから」 ではない。 
なぜ私達の人生にはそのような苦難が起きてくるのでしょうか? 私達の信仰や祈りが足りないからでしょうか? 私達が何か特別な罪を犯したからでしょうか? そうではありません。旧約聖書ヨブ記も主イエスもそれを否定しています。天地創造の一番初めの時、人間が神との関係を断絶してしまった時に、初めに神が意図されなかった死や苦しみや悲しみがこの世界に入り込んできてしまったのです。
結論:
神の子イエスはこの苦難に満ちる世界の只中に飛び込んで来て下さり、神と隣人を愛した生涯の最後に十字架にかかり、「わが神、わが神、なんで!? 私をお見捨てになったのですか」と叫んで死に、三日目によみがえらされて今も生きています。私達が 「神様なんで!?」と叫ぶ答えはずっとわからないままかも知れません。しかし「神様なんで!?」と叫んで下さった主イエスになら、自分の疑問をわからないまま預けて主と共に歩んでいくことができるのです。