· 

クリスマス主日(年末)礼拝

クリスマス主日(年末)礼拝メッセージ「ひとり子をお与えになったほどに」東賢作牧師

クリスマスおめでとうございます。主イエスのご降誕を感謝し、御名を讃美いたします。また本日は年末礼拝です。一年の最後(52回目)の主日に私たちの喜びの原点(源泉)」に立ち戻りたいと願っています。1.ヨハネの福音書3章16節の神の愛は現在進行形  ヨハネの福音書3:16は「ミニバイブル」と呼ばれており、聖書が語る福音が凝縮されています。とても有名なみことばですので私達も何回も聞いて当たり前になっていると思います。しかしこのみことばこそが私達の喜びの原点(源泉)ですので、私達は「もうわかってる」と言って卒業することなく、ご自分の「ひとりごをお与えになるほどに」私達を今も変わらず愛し続けて下さっている神の愛を覚えたいのです。 2.神は私達を得るためにすべてを与え尽くした。 御子イエス・キリストの十字架の姿には私達を永遠に得るためにすべてを与え尽くして下さった三位一体の神の愛が完全に現れています。「滅びる」とは原文で「失われる」という意味の言葉ですので「私達が滅びる」とは「神が私達を失う」ことを意味します。しかし神はそれに耐えられず、こんな私達と永遠に一緒にいたかったがゆえにすべてを与え尽くして下さり、今も同じ愛で私達の「出来高」ではなく私達の「存在そのもの」を愛し喜び続けて下さっているのです。3.赦された私達は安心して神の光の中で歩める。19節以降の「さばき」とは「分ける」と言う意味があり、光と闇の描写があります。みことばの光に照らされる時、私達は自分の罪が露わにされて恥じ入り、恐れます。しかし主イエスがすでに十字架によって私達の存在ごと赦し、愛し、受け入れて下さったので私達は安心して神の光の中で歩めるのです。 結論:パウロが罪ある人間を代表して告白したように、私達は自分の力で神の御心を行うことができないみじめな人間です。しかし神はそんな私達を 「ひとりごをお与えになるほどに」 愛し御子イエスの十字架と復活によって永遠に御手の中に取り戻して下さいました。 それほどに神は私達の存在そのものを愛し喜び慕い求めて下さっている。その証がクリスマスです。