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2024/11/17の礼拝メッセージ

「イエスについていく」ということ

マタイ8:18-22

 

先週はナカノ・ユリ師がみことばを取り次いで下さり、感謝でした。自分が独善的になっていることにも気づいていない兄息子(私)に対して「子よ」と愛を込めて語りかける父親(神)の姿に感謝しました。

そのように語りかけて私達を招いて下さった主イエスについていくとはどういうことなのでしょうか?

 

1.イエスについていく道には苦難もある。

今日の場面には2人の対称的な人達が登場します。

1人目の人は律法学者で、彼はイエスに「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」と意気揚々と言いました。

彼はおそらくイエスの奇跡や教えを見て感動し、心からイエスについて行きたいと願ったのでしょう。しかしイエスは彼に対して「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」(マタイ8:20)と語りました。つまり、イエスについていく道には苦難がある、ということを前もって伝え、それをわかった上でそれでもついて来ますか?と問いかけたのです。

 

2.イエスについていくのは「今」がその時。

2人目の人はイエスについていく前に父を葬ることを許して下さいと言いました。しかしイエスの答えは意外なことに「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」と言うものでした。この箇所について複数の文献を見ますと、実は父親は生きていて、その父親が亡くなるまでずっと一緒に過ごしてからイエスについていきます、という意味であるとのことでした。イエスは決して親をないがしろにするように教えてはいません。まずイエスについていくことが永遠のいのちへの道であり、ペテロの姑が救われたように、そのいのちはやがてついてきた者の家族に及ぶのです。イエスについていく救いの時は「今」であり、その機会を逃してならないとイエスは語りかけたのです。

 

結論:しかしながら私達はペテロがそうであったように自分の覚悟や自分の意思でイエスについていくことはできません。だからこそ「ためらう」ロトの手を主の一方的なあわれみによってみ使いがつかんで滅びの中から引き出したように、主イエスご自身が私達の手をつかんで導き続けて下さるのです

 

聖書 新改訳2017©2017新改訳聖書刊行会

★これまでの礼拝メッセージ集(要約)★

11/10 本日は、大阪光明キリスト教会からお越しくださったナカノ・ユリ宣教師を通して、ルカの福音書15:11-32より、「全てあなたのもの」という主題でメッセージが語られました。
また、子どもの話でも、ナカノ先生とダッキーの腹話術ユニットで「よろこびをえらぶ」というめぐみが楽しく分かち合われました。
聖霊を通して意図的に喜ぶことの祝福が、大人にも子どもにもあふれる感謝な時でした。


 



  

教会は人の集まるところ

じつは、『教会』という言葉はもともと【人の集まり】を指す言葉で、

建物のことではありません。

いろいろな所から人々は、礼拝に集います。

聖書を読み、歌い、お祈りをしたり、クリスマスを祝ったりします。

共に食事をしたり、ゲームで楽しんだりします。音楽コンサートや誕生会が行われることもあります。

 *【教会】という言葉はエクレシアというギリシャ語を翻訳したもので、本来は【召された者】という意味があり、【キリストを信じる人の集まり】を指す言葉です



教会はイエス・キリストに出会うところ

教会は強引な宗教勧誘をしたり、まして人を洗脳したりすることはありません。人の悪い行いを叱りつけたり、善行を強要するようなところでもありません。お金を強要したり、物を売りつけたりするようなこともありません。

ただ私達はここへ訪れた皆さまが、

人々とのふれあいの中で、聖書や礼拝のなかで

イエス・キリストに出会うことを、心より願っています。

 

教会にくる”きっかけ”も”理由”もひとそれぞれ

教会にはキリスト教を信じる人だけがきているわけではありません。

 

 

暇を持て余した子供たちが遊びに来たり、
ご近所にの方が話をするために立ちよったり、野菜や果物などを分けて下さったり、

学生が悩み相談に訪れたり、なんとなく興味があって覗いてみたり、

トイレを借りにきたという方もお見えになります。

 

いつも来るひと、たまに来るひと、はじめて来るひと。

そんないろんな顔ぶれのひとびとが集まり、

知多のぞみ教会はいつもにぎやかです。

 

通りがかって気になっている方、

建物の中をちょっと覗いてみたい方

どうぞお気軽にお越しください。

教会はすべての人のためにひらかれているところ

なぜなら、イエス・キリストがすべての方を歓迎しているからです。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』聖書(マタイの福音書11章28節)

どうぞ、礼拝へお越し下さい。

 

 

教会はあなたの悩みに寄り添います

あなたのご質問やお悩みを当教会牧師がうかがい、聖書に書いてあることを基に、お答えさせていただきます。もちろん、相談料などは一切不要です。

■人生の意義や、存在理由について…

「なんで生きているのかわからない」「自分が無価値に思える」

「死んだ後、どうなるのか知りたい」 

■聖書、キリスト教、教会について…

「聖書の読み方を教えてほしい」「○○についてキリスト教は何といっているか?」

■宗教トラブルなどのご相談

「友人がカルト宗教にはまってしまい困っている」

その他、人間関係やお仕事等の悩み相談など、なんでもお伺いいたします。